札幌地方裁判所 昭和37年(わ)399号 判決 1966年5月02日
被告人 杉浦正季 外二名
主文
被告人らはいずれも無罪。
理由
第一本件の公訴事実
被告人らに対する本件公訴事実は、
「被告人杉浦正季、同難波年弘は札幌市交通局電車部整備課従業員で、かつ同従業員等をもつて組織する札幌市役所関係労働組合連合会傘下の札幌交通労働組合所属の組合員であり、また被告人山本勉は札幌市建設局土木部工事第二課車輛事業所の従業員で、かつ同従業員等をもつて組織する札幌市役所関係労働組合連合会傘下の札幌市役所労働組合所属の組合員であつて、昭和三七年六月一五日早朝から行なわれたいわゆる札幌市電ストに際し同日午前一〇時ごろ、札幌市南二条西一一丁目所在の同市交通局中央車庫において、電車運行確保のため同交通局長大刀豊の業務命今により先頭車第二二二号電車等が出庫しようとして運行を始めた折から、同市労連傘下組合員酒井淳他約四〇名と共謀のうえ、右電車の運行を阻止しようと企て、同日午前一〇時ごろから一〇時三四分ごろまで右組合員約四〇名と共に同市吏員吉田稔(当三四才)が右業務命令により運転業務に従事中の第二二二号電車の前部に接着して結集し、スクラムを組むなどしてその前面に立ち塞がり労働歌を高唱し、「ワツシヨイ、ワツシヨイ」と掛声をかけ、「降りろ、降りろ」「さがれ、さがれ」等と怒号しながら、同電車をゆさぶり、或は同車の前部を前より押したり、それにぶらさがるなどして同人が運転していた電車の運行を阻止して不能ならしめ、もつて威力を用いて札幌市の電車運行業務を妨害したものである。」
というのである。
第二本件争議の経過
一 札幌市役所関係労働組合連合会の組織および本件当時の被告人らの組合における地位
札幌市役所関係労働組合連合会(以下市労連と略称する。)は、昭和三五年一〇月一〇日、従来札幌市の職域毎の単位組合の協議体であつた市労連協議体を改め、(一)札幌市(交通局、水道局、市立札幌病院を除く。)に勤務する吏員(ただし課長職以上を除く。)をもつて構成する札幌市役所職員組合、(二)市立札幌病院に勤務する職員(課長職以上を除く、ただし医長を含む。)をもつて構成する市立札幌病院職員組合、(三)札幌市(交通局、水道局、前記病院を除く。)に勤務する雇員など地方自治法一七二条一項にいわゆる「その他の職員」をもつて構成する札幌市役所労働組合、(四)札幌市交通局に勤務する職員(係長以上の職、機密事項等を扱う職員を除く。)をもつて構成する札幌交通労働組合、(五)札幌市水道局に勤務する職員(係長以上の職、機密事項等を扱う職員を除く。)をもつて構成する札幌市水道労働組合の五単位組合をもつて組織する単一の組織体として結成されたものであり、右加盟組合の共通の問題に対する共同方針およびその推進について審議し決定することを目的とし、結成以来共通の問題について市当局と団体交渉を繰り返えし継続して来たものである。
そして市労連はその機関として、大会、中央委員会、執行委員会を設け、その最高決議機関である大会は、各加盟組合の執行委員、中央委員、常任委員および市労連役員をもつて構成され、その招集は執行委員長がこれを行い、その定足数は構成員の半数以上とされ、議事は出席構成員の過半数の賛成によつて決定され(可否同数の場合は議長の決するところによる。)、右大会における決議は各加盟単位組合、したがつてその組合員を拘束することとなつており、また役員として執行委員長一名、副執行委員長一名、事務局長一名、会計一名、執行委員若干名、会計監査委員二名をおくこととなつており、本件当時である昭和三七年六月一五日ごろの市労連の執行委員長は藤田猛、副執行委員長は富岡秀義であつた。
本件当時、被告人杉浦正季は札幌交通労働組合の執行委員(ただし後述の闘争委員会の構成員ではなかつた。)、被告人難波年弘は同組合整備支部の支部長、被告人山本勉は札幌市役所労働組合の中央委員および同組合建設支部の執行委員の地位にあり、いずれも市労連傘下の組合の組合員であつた。
二 昭和三五年から同三六年ごろまでの市労連と市当局との団体交渉の推移
(一) 昭和三五年末の団体交渉
前記市労連協議体ならびに加盟各単位組合はかねてから、総数四八〇名にも達する多数の臨時職員の本採用化、給与、諸手当の改善、役職者に対してのみなされる年末手当の割増支給、住宅手当の支給、住宅資金の特別融資の撤廃、あるいは同一条件下の職員間に存する給与の不均衡の是正、雇員職も四等級に渡り込めるようにすることなどを要求し、また、かつて札幌市においては全職員に二〇日間の有給休暇が存したけれども、昭和二八年に市当局はこれを最低六日、勤続年数一年毎に一日を加算して最高二〇日とすることに改めたため、有給休暇二〇日間の復活を要請していたのであるが、市労連は昭和三五年一〇月、前記のような給与に関する要求を内容とする給与制度の改善、有給休暇の復活、年末手当についての要求などを市当局に提出し、団体交渉(以下、単に団交とよぶ。)を求めた。市当局は団交の開始を延ばし、同年一二月になつてからはじめて主として年末手当について団交がもたれ、市長は一般職員には前年度を下まわる率を提示しながら、係長以上については従前どおり加算すると回答し、以後の団交を拒否する挙に出たので紛糾したが、結局札幌市議会議長のあつせんにより団交が再開され、一般職員について前年並みの率によることとなつた。
(二) 昭和三六年一月の団体交渉
右の年末団交の妥結にあたり、市長は給与改訂については市労連と話合いがつかない限り市議会に提案しないと確約していたのであるが、妥結点が得られないとして一方的に議会に提案した。そこで市労連は、坐り込み、デモ行進、リボン闘争に訴えたが団交は再開されず、市労連は北海道地方労働委員会(以下地労委と略称する。)に対し調停を、市議会議長に対しあつせんを求め、右議長からは話合いを再開するようにとの勧告がなされ、また地労委において市当局と市労連との間に「有給休暇、四等級渡り込み、役職者の差別待遇については、今後労使が十分話し合つてすみやかに解決する。」との調停が成立した。
(三) 昭和三六年末以降の団体交渉
その後市労連は、従来の懸案事項と期末手当の要求を掲げて市当局に対し団交を求めたが、実質的な話合いがほとんどされずに団交を打切られて、再び坐り込み、超過勤務拒否の闘争に出た。そこで、市議会総務委員会から市長に対し「昭和三七年二月までにこの問題を解決するよう。」との勧告がなされ、市長もこの勧告を受けるに至つていた。そこで市労連は市当局と昭和三七年二月に団交を重ねたが依然解決がつかず、市長から同年六月まで解決をまつてほしいとの申出があり、市労連もこれを了承した。
三 本件争議に至る直前の状況
(一) 市労連の要求と団体交渉
市労連は、昭和三七年五月七日市長に対し、札幌市の財政状態が良好であるにもかかわらず諸手当が貧弱であるとして、夏期手当の増額、石炭手当等諸手当の改善、土曜半休制の完全実施、四等級渡り込み、昇給期間の短縮、有給休暇二〇日間の復活を要求し、同月二五日から六月七日まで六回にわたり第二助役などと交渉をしたが、市側は夏期手当は増額しない、その他の申入れについては今後努力するとして団交を打切り、同月八日当局主張率による夏期手当を、支給するに及んだ。
(二) 市労連闘争委員会の設置とその後の労使関係
そこで市労連執行委員長藤田猛は、市労連の臨時大会を招集し、大会の定足数を超える構成員の出席のもとに大会が開催され、その結果、市労連執行委員のほか各加盟組合から派遣されるべき、一名ないし二名の者および全市連(北海道全市職員労働組合連合会)に出向している市労連の代表二名をもつて構成する闘争委員会を設け、これに前記の市労連の目的を達成するためのあらゆる行動をする権限を付与し、その委員長に、右藤田猛があてられた。
市労連は、右大会および闘争委員会の決定に基づき、リボン闘争、坐り込み、定時出退庁およびそのころ失効した交通部門のいわゆる時間外労働に関する労働基準法三六条による協定の再締結に応じないなどの行動に出た。そして他方、同月一一、一二、一三日の三日間にわたり、市当局に団交を求めたが、市側は、交渉しても回答は同じだからその必要はないとしてこれを拒否していた。しかし同月一三日になつて交通部門の超過勤務拒否による影響が現われてきたため、市議会公営企業委員会から、市と市労連の言分をきいたうえで、「労使双方は団交を速やかに再開し、札幌祭前に問題を解決するよう。」との勧告が出されるに至つた。市労連はすぐさま市に対して団交再開を申入れたが、市当局は、右の勧告は交通労組との団交再開の勧告であるから市労連と会う必要はないとして右申入れを拒否した。このため同月一四日には市議会議長、議会運営委員長、公営企業委員長の三名は市長に対し、あつせんを申入れたが、市長は議会の介入を拒否した。
(三) 六月一四日の団体交渉
市労連は六月一四日も団交再開を求め、同日午後五時ごろになつて、市当局は市労連に対し午後六時から交通局で団交を再開する旨約した。同六時ごろ交通局で市側は小塩第二助役ほか六名、市労連側は全闘争委員一八名が出席して団交が再開されることとなつたが、市側は交渉時間は三〇分、交渉人員は双方各七名に制限すると述べたため、一時相当混乱し、結局市側はこの制限を撤回して第一次の団交に入つた。市当局は回答として「夏期手当は六月八日支給ずみであるから増額はできない。石炭手当はまだ時間があるから今後話合いをしたい。有給休暇はもつと時間をかけなければ回答できない。四等級渡り込みはする意思がない。不均衡是正については資料がないから回答できない。」と述べた。そこで市労連は「明日は札幌祭なので今迄のような超勤拒否を続ければ大変な支障になるので混乱を避けたい。当局ももう一回検討してほしい。」と述べて休憩に入つた。この間闘争委員会は諸問題を一挙に解することは困難であるとみて、要求をイ、夏期手当増額 ロ、有給休暇二〇日の実施 ハ、昇給期間の短縮の三点にしぼることとした。第二次交渉では、市側は前回と同様の回答をしたが、市労連は問題を右の三点にしぼつたので再度検討してもらいたいとして休憩に入り、午後九時ごろ行われた第三次交渉では、市当局は、市側の案について市長の承認を得たい旨述べ、その結果翌六月一五日午前一時ごろ再開された第四次交渉では、市当局から「夏期手当については年末の決算をみて何らかの処置をしたい。有給休暇は今後引続き検討したい。昇給期間短縮はやるつもりはないが続けて検討したい。」という案が示されたが、市労連はもつと具体的な案を示してもらいたいので市長と再協議をしてほしいと要望し、市側もこれを受けいれて休憩に入つた。同日午前二時三〇分ごろ再開された第五次交渉では「夏期手当は赤字会計でも必ず出すが、その金額、時期については、今言えない。その他については前の回答どおりである。」との回答が小塩市助役からなされ、市労連は、原田市長自らが出席すれば右の回答も明確になつて三項目のうち一項目でもまとまればあるいは妥結点を見出し得ると考え、市長の出席を求めるに至つた。同日午前五時すぎ市長出席のもとに第次六交渉が再開され、席上市長から、「夏期手当の増額はしないが、市電の値上げが決れば考慮する。有給休暇は時間をかけて具体的な案を出したい。昇給期間短縮は実施する考えはないが、一部の職員に限つてもよければ実施する。」との回答がなされた。市労連側はこの回答は前回までの双方必死の交渉結果を無に帰せしめるものであるとして、「この回答では解決にならない。バス電車が止まるかもしれないことを考えてのことか。」と詰め寄り、他方、市長も「皆さんがそう言つたからとて考えは変らん。やるというならやりなさい。」と返答したため、遂に市と市労連の団交は決裂するに至つた。
四 闘争指令および指示ならびにこれに基づく市労連の争議行為
(一) 指令第三号と指示
闘争委員会は、右の団交決裂後直ちに対策を協議し、「一応市労連に対して争議行為は禁止されてはいるが、そのため市当局から争議行為に出ないとみすかされて窮地に追い込まれたものであり、また団交の内容となつていたのは昭和三五年ごろからの懸案事項で市労連としては妥結のため最善の努力を尽したのである以上、やむを得ない。」として六月一五日午前六時ごろ、藤田闘争委員長が交通局において、同局庁舎内で交渉の経過を見守つていた市労連傘下組合の組合員を通じ全組合員に対しつぎのような指令第三号を口頭で発した。
1 一五日午前六時から乗務員は電車、バスの乗務を拒否せよ。
2 観光、清掃および建設部門については追つて指令する。
3 全組合員は非常事態を深く理解し、今こそ統一と団結をかため、要求貫徹のため全力をあげることを要請する。
そして右指令と同時に、当面の行動指示として、
イ 電車、バスの乗務員は札幌市内円山総合グランドに集合し待機すること。
ロ 職場に戻る組合員は職場でこれまでの経過と闘争指令を報告すること。
ハ 営業所等に戻る組合員と当日非番の組合員は、営業所等で他の組合員に対し乗務拒否を伝達し、乗務出勤者の説得にあたること、また警察官が導入された場合はまさつを起さぬこと。
を指示し、その後指令2の部門については平常の業務につくこと、指示イの集合場所については同市内円山隆光寺に変更することを指令した。
(なお、闘争委員会の発した指令第三号について、検察官は、指令第三号と題する文書に記載された文言および指令文書の重要性から、右指令は市労連傘下の五単位組合の全組合員に対し、電車、バスの運行を阻害せよと命じたものである旨主張する。そして指令第三号と題する文書によると、「一五日始発より電車、バスの運転を休止せよ。」との文言のほか前記第二、四(一)3に判示した全組合員に対する要請ならびに団交の経過がきわめて簡単に記載されていることが認められる。しかしながら、既に判示したように指令第三号は元来口頭で発せられたものであつて、指令文書そのものは第二次的な意義しかもたないと認められ、右文書のみで指令の内容を推し測ることはできないのであり、またかりに所論のように指令文書の文言に極めて忠実に解するとしても、それは運転を休止せよというものであるから正に乗務員に対して運転を休止することすなわち乗務拒否を命じたものであつて、全組合員に対し電車、バスの運行の阻止を命じたものでないことは明らかであるといわなければならない。また全組合員に対する要請の部分も、市労連傘下組合員に対し、右指令が発せられるに至つた所以を理解して統制を守り、右指令に背くような行動に出ないことを呼びかけたものにすぎないばかりか、もし主張のように交通局電車部整備課課員も争議行為に加わることを指令されていたならば、四家毅、被告人杉浦、同難波らが団交会場の清掃などをして出勤時刻に間に合うように職場に赴き、作業服に着替えて職場に出た(この事実は証拠上明白である。)はずがないのであつて、検察官の右の主張は到底採用することができない。)
(二) 市長への通告と市民への報知
市労連は、六月一五日午前六時二〇分ごろ闘争委員会の決定に基づいて、市長に対し、「市長の回答は受けることができない。市長の組合に対する考え方を変更するまで重点職場として午前六時から電車、バスの就業を拒否する。市労連はいつでも市長からの交渉を受ける用意があるが、当方からは交渉を申し入れない。」と通告し、そのあと、市民に対し、電車などが運行しないことの報道を、新聞放送関係に依頼し、用意した宣伝カー三台をくり出して市民への報知にあたらせた。
(三) 指令等に基づく市労連の争議行為
前記のような闘争委員会の闘争指令に基づき、バス、電車の乗務員は乗務を拒否し円山隆光寺に集合した。その結果、市バスについては、北光、琴似、白石の三車庫からのバスの出庫はほとんどなく、わずかに白石車庫などから、自動車部梶谷正明整備課長より出庫を命ぜられた、市労連組合員を含む整備課の職員、整備工によつて運転されたバス約一三台が営業路線に出ただけであり、また市電については、幌北、中央の両車庫から早朝出庫した数台の電車は乗務員の途中からの乗務拒否によつてそのほとんどが車庫に戻つたのであるが、中央車庫において午前一〇時すぎごろ電車部長草島喜三弥、整備課長本間孝一らが多数の組合員を含む係員二四名に対し電車を運転して営業路線に出ることを命じ、それに基づいて先頭車である二二二号電車に乗車した、札幌交通労働組合の組合員である吉田稔が同車を運転、出庫させようとした際に若干の混乱が生じ、これが本件公訴の対象となつたものである。
五 市労連の争議の解決
(一) 解決に至るまでの経過
市労連から争議の通告を受けた市長は、直ちに市議会議長と地労委に調停あつせんの依頼をし、六月一五日午前九時から行われた事情聴取の結果、同日午後二時ごろ地労委から「夏期手当は既に支出した一三割のほかに一律一、五〇〇円を支給し、四等級渡り込みなどについては引続き交渉をすること。」などを内容とする調停案が出され、翌日午前二時ごろ市当局と市労連は争議行為禁止規定違反を理由とする行政処分については労使双方が十分に話し合つて納得がいくようにすることを合意したうえで右調停案を受諾した。
札幌市議会は翌六月一六日札幌市長に対し組合からの団交再開申入れを市議会の前記勧告後二六時間も後に開いた理由などを問いただしたうえ、「市民に多大の損害と迷惑をおよぼしたことは遺憾である。理事者は将来かような不測の事態の再発なきよう常に労使協調の基盤のうえに立つて市民奉仕に万全を期せられたい。」との決議を行つた。
(二) 市労連の要求事項の解決
右の争議の終結後、間もなく行われた団交により市労連の懸案の要求事項はすべて解決された。すなわち
1 どの職種も四等級に渡り込めるように制度が改正された(昭和三九年四月から実施)。
2 昇給期間短縮が行われるようになつた(昭和三八年一月以降実施)。
3 課長以上に支給された住宅手当は昭和三九年一月から、役職者に対する年末手当の増額は昭和三八年度から廃止された。
4 給与ベースの不均衡是正が行われることとなつた(昭和四〇年一〇月から実施)。
5 低額所得者に対する年令別最低保障賃金制が採用されるに至つた。
6 有給休暇は昭和三七年一〇月から増加し、同三九年一月から二〇日制が完全実施された。
7 手当についても一定額を加算することになつた。
そして以上のほか市当局は団交についても話を尽すという態度に出るようになり、労使関係が円満な交渉に推移するようになつた。
以上の事実はいずれも証拠によつてこれを認めることができる。
第三被告人らの行動
一 中央車庫における状況
(一) 中央車庫
札幌市交通局中央車庫は、同市南二条西一一丁目に所在し、約三六台の電車を収容することができる。同市の二つの電車車庫のうち小規模の方のものである。構内は合計一二線路に分かれ、そこから出庫する電車は、前面に金網を、上部に有刺鉄線を張つた折りたたみ式の扉が取り付けられた正門の付近で二線路に集約され、同所を通つて営業路線に出るようになつていて、本件当時右の二路線のうち西側には二二二号電車など後記出庫電車となつた電車約一二台など、東側には六一九号電車など数台が入庫していた。
(二) 門扉付近における市労連組合員の行動
中央車庫からは本件闘争指令が出る前の午前五時五〇分ごろから合計七台の電車が出庫して営業路線に出たが、闘争指令が出るに及び、各乗務員が乗務を拒否して午前六時ごろには全部車庫に戻されてしまい、降車した乗務員が中央車庫の門扉を閉じてしまつた。その後非番の札幌市役所労働組合の建設支部、清掃支部の組合員など一五、六名が乗務員の説得のために中央車庫に到着し、また順次出勤してくる電車乗務員も闘争指令の伝達、説明を受けるなどして電車に乗車することなく門扉付近にたむろし、午前六時三〇分ごろには総数約七〇名に達したが、午前七時ごろ乗務員は門扉付近に整列したうえ円山隆光寺へ向けて出発した。その後さらに出勤してくる乗務員を説得するため、被告人山本、宮川邦夫、鈴木義光、久田信隆ら市労連組合員約一〇数名が順次中央車庫門扉内に到着し、その後も逐次出勤してくる乗務員に対し「組合員ですか。」と問いかけて闘争指令を伝達し、乗務を拒否して円山へ集合するよう説得して円山へ向かわせ、あるいは二、三名ずつかたまつて石に腰を下ろして雑談したり、新聞を読んだり、門扉の東わきにある検車詰所に入つて水を飲み、もしくは腰をかけるところがないところからレールに腰を下ろし、あるいは門扉に立てかけてあつた長さ約六尺ぐらいの梯子に腰をおろしていたのであるが、その間中央車庫の様子を見にやつてきた本間整備課長、荒沢英夫整備車輛係長、佐久間三郎一条営業所長などの役職者非組合員に対しては「入れることはできません。」と述べて入門を拒否し、そのうち佐久間所長に対しては前記梯子にのぼつていた鈴木義光ら数名の者が「所長帰れ。」などと叫んだこともあつた(被告人山本が梯子や門扉の上からそのような言葉をかけたことを認めうる証拠がない。)が、役職者は、その後右正門以外の個所から構内に入つた。
(三) 出勤整備課員の平常勤務
午前八時すぎごろから交通局電車部整備課課員は前夜団交が行われた交通局や自宅から中央車庫に出勤し、組合員であるので門扉のところでは格別とがめられることもなく、また同課員らには特段の闘争指令が発せられておらず平常勤務であつたところから、それぞれ更衣室で作業服に着かえて自分の職場に入つた。作業開始時刻の午前八時三〇分からは多くの者が勤務についたが、一部には、前夜からの市労連の闘争について話をしたりしている者もいた。午前八時四〇分ごろ、市労連の前記指令指示の内容を組合員に伝達すべき責務を負つていた札幌交通労働組合整備支部長である被告人難波は、車庫内木工場に組合員である整備課員約四〇名を集め、特段の指令がないので整備課は平常勤務である旨を告げた。このあと、各整備課員は各自の職場に戻り、後記の本間課長の集合命令があるまで勤務についていたものである。
(四) 交通局側の電車出庫準備
一方、電車乗務員の業務拒否を知つた大刀豊交通局長は、草島電車部長に対し、係員(札幌交通労働組合の組合員であるが、運転手等から昇進し運行に関する事項等の事務関係の職務に従事している者)などをもつて電車の運行にあたらせ、ピケツトが張られている場合(ピケツテイングの略、以下同じ)にはピケツトを排除して運行させることを命令し、同部長は電車の運行を浜岡勝良業務課長に、ピケツトの排除を本間整備課長に指示した。浜岡課長は前記の係員に対し札幌駅前にある交通局中央営業所に集合することを命じ、午前八時三〇分ごろ、集合した係員のうち数名の者を、乗務要員として当時運行していた電車の乗務にあたらせ、また別に乗務編成をした吉田稔係員など二四名の者を、中央車庫からの乗務要員として交通局(札幌市南一条西一四丁目所在)に送り込んだ。交通局において草島電車部長は乗務要員吉田稔らに対し、中央車庫にはピケツトが張られているから実力を行使して出庫しなければならない。最悪の場合にはその筋に頼むから皆行つて出庫するようにしてくれという旨の指示をしたほか、同部長は当初は午前九時三〇分ごろに電車を出庫させる予定で手筈をととのえていたのであるが、後に午前一〇時ごろ出庫することに方針を変え、このことを同局に到着した乗務要員中西正や、渡辺良雄運輸係長を通じ同要員長谷目政男(いずれも二台目出庫要員)などに伝えた。また本間整備課長は「告。この実力行使は法律に違反し真に遺憾であります。直ちにピケをといて電車を出庫させて下さい。交通局長。」と記載した約一メートル四方の警告板二枚を作成したほか、携帯用拡声装置(携帯マイク)三個を用意して斉藤清一、小山内義夫、萩原茂、高木元光、赤松清を警告要員としてこれを持たせ、これらの者に門扉内にいる市労連組合員に対する警告にあたらせることとした。このようにして、本間整備課長は前記乗務要員を率いて中央車庫へ向かい、相前後して、右の警告要員五名も出発して、午前九時三〇分ごろ、本間課長らは中央車庫裏側に、警告要員は中央車庫門扉前にそれぞれ到着した。そして警告要員は、門扉に沿つてほぼ一列に並んだ市労連組合員らに対し、前記警告板を手で掲げて示し、あるいは携帯マイクで同様の趣旨を呼びかける行動におよんだ。一方、本間課長と乗務要員は車庫裏側のよろい戸をあけて車庫内に入り、そこで佐久間所長から乗車すべき電車の車号、運転系統、方向などの指示を受け、運転要員はハンドル、集札箱等の出庫用具を取りそろえたうえ、運転要員吉田稔、車掌要員田島信行は二二二号車(出庫順位一番、一系統、運転方向西保健所前停留所)に、運転要員中西正、車掌要員長谷目政男は五八四号車(出庫順位二番、六系統、運転方向学芸大学前停留所)に、他二〇名も同様に割当てられた電車にそれぞれ乗車し、山庫前になすべきいわゆる出庫点検にあたつた。その間本間課長は午前九時四五分ごろ、整備課各作業場で勤務している課員らに対し、ベルと有線放送を通じて、車庫内更衣室と電車車庫東北角(電気職場角)の間に集合するように命じ、集つた約四〇名の整備課員(いずれも市労連傘下札幌交通労働組合員)に対し、門扉のそばで市労連組合員が張つているピケツトは違法なものであるという趣旨を述べ、さらに「皆さん、こつちへ来てピケ排除に協力して下さい。さあ皆さんついて来て下さい。進め。」と言つて、同所から門扉の方向へ向つて歩き出し、続いて大和田正、講神清、小山某、長谷川某、稲見某、古藤洲人などがこれに従つた。このように本間課長に従つた市労連組合員大和田に対して、被告人杉浦は「大和田さん、あなたも組合員なら組合員らしい態度をとりなさい。組合員らしく行動しなさい。」と声をかけたが、大和田はこれに耳をかさず課長のあとに従つて門扉へと向つた。
(五) 二二二号車の出庫阻止
(1) このようにして門扉のところへ行つた本間課長ら八、九名および前記の警告にあたつていた者合計一〇数名は四枚の門扉のかんぬきをはずし、縛つてあつた針金を取り除くなどして、約五分後の午前一〇時ごろには門扉を全部あけたが、その間その付近にいた市労連組合員との間に特段の争いは生じなかつた。そして開門と同時に佐久間所長の合図により待機していた吉田稔運転の二二二号車を先頭とする電車一二台は門扉の方向に向つて順次発進し、二二二号車は門扉の約四メートル手前まで前進した。
開門を見ていた市労連組合員約一五名は電車のエンジンの音を聞きつけて後を振り返り、電車が乗務員の制服制帽をつけた運転者によつて運転され前進してくるのに気づき、ばらばらと電車の前面に駆け付けて立ち塞がり、運転手吉田稔および様子を見に運転台のそばまで来た車掌田島信行に対し、口ぐちに「組合の指令は業務拒否だから電車を出してもらつちや困る。降りてもらいたい。おまえ達も組合員だろう。電車を運転するな。降りろ。」というような趣旨のことを叫んだが、これを見た本間課長、佐久間所長および同人らと共に門扉をあけた数名の整備課の者達はすぐさま「どけなさい。どいてくれ。よけれ。」などと言いながら、市労連組合員の手を引張り肩を抱きかかえて引ずり、あるいは押しのけようとするなどの行為に出た。
一方、本間課長の命今に従わず、その場に踏み止まつた整備課員達は、心中、課長の命令に従うべきか、それとも組合の指示どおり、本来の職務の平常勤務につくべきか、困つたことになつたと迷いながら、一部の者は一応木工場や整備工場の職場に戻り、他の者はその付近や電車車庫の出庫線付近にいて門扉付近の様子をうかがつたりしていた。しかし、これらの者も、やがて、ことの成り行きを気にして、職場やその場から、誰からともなく、三々五々更衣室わきの通路や電車車庫内引込線のあたりを通り、門扉付近や、その近くに停止していた二二二号車、六一九号車の付近に赴いたが、ここで、前記のように本間課長やこれに従つた整備課員らが二二二号車前に立ち塞がり吉田運転手に向つて降車を呼びかけている市労連組合員に対し実力で引き抜きにかかつたのを目撃し、にわかに同じ組合員を使つて組合員を引き抜く当局側の措置に憤激の念をいだくとともに、同組合員として市労連側の組合員に協力しなければという気になり約二〇名が一気にかけ寄つて前記市労連組合員に合流するに至つた(なお、間もなく六一九号車の前にも前記市労連組合員と共に整備課の組合員約一〇名余りが立ち塞がつた。)。これを見た当局側の者達は「ワツシヨイ。ワツシヨイ。」と掛声をかけ、二二二号車前に立ちはだかつた者を押しのけ、あるいは引き出そうとしたので市労連組合員は押しこまれ、電車前面に近い者は電車を支えにして自己の体勢を維持するため電車前面に手をついてこれに耐え、また同様に「ワツシヨイ。ワツシヨイ。」と声をあげ、引き抜かれないように近くの組合側の者の身体にしがみつくなどして頑張り、数分間もみ合つたが、引抜き側は人数が少ないため目的を達することができず、午前一〇時一〇分ごろ一旦これを中止して、小休止状態に入つた。その間、組合側の者が二二二号車の運転手吉田稔、車掌田島信行に対し暴行を加えあるいは脅迫行為に出たことは全くなく、また引抜き側の者に対し積極的に押し返えしたり、突く、殴るなどというような行為に出たことはなかつた。右の小休止に入つてから二二二号車の吉田稔、田島信行は連絡を受けて他の電車に乗つていた乗務要員と共に、三台目の電車に集り、引抜きについて指示を受けた。一方、電車の前に立ちはだかつた組合側の者は運転台の方を向いてスクラムを組み、また労働歌を歌い出す者が出て、これに唱和するなどして気勢を上げ、このような状態は午前一〇時二〇分ごろまで続いた。
(なお、整備課員がピケツトに入つた時刻について、検察官は午前九時四三分から五二分までの間であるとし、これを一つの前提として本件事実に関するいくつかの主張をしている。しかし、後に判示する「出動要請について」と題する文書によれば、それには「本日午前一〇時五分札幌交通局中央車庫より電車が発車しようとしたところ、夏期斗争中のデモ隊により運行を阻害されましたので、貴署の出動を要請いたします。」と記載されており、これに右文書が発せられるに至つた後記の事情をあわせ考えると、整備課員が二二二号車等の前の集団に加わつたのは門扉が開かれた午前一〇時ごろから同五分までの間であつたと認められる。)
(2) このように整備課員を使つてするつもりであつたピケツト排除が不成功に終つたことを、本間課長からの電話で知つた草島電車部長は、大刀交通局長の指示を得てとりあえず口頭で所轄の札幌中央警察署長に対し、中央車庫における市労連側のピケツトを排除するための警察官の出動を要請し(後刻、札幌市祕書室長を通じ、市長名義の「出動要請について」と題する文書〔昭和三九年押第五一号の一一〕を右中央警察署長に提出した。)、また本間整備課長に対し、警察と相談のうえさらにピケツトを排除するように指示した。そこで、本間整備課長は、中央車庫門扉の向いにある交通局職員会館前に来ていた警察官と相談した後、検車詰所に渡辺運輸係長らを集め、「このままの状態では警察に入つてもらえない。もつと激しくやろう。」という趣旨のことを述べ、そのために出庫順位四番目以下の電車の乗務要員をもピケツト排除に参加させ、皆で東から西に向つて押すという方針を指示した。これに対し同僚をそういう目には合わせられないと言つて反対の意見を述べた者もいたが、結局は本間課長の方針どおりにすることに決まり、命を受けた出庫順位四番目以下の電車の乗務要員も電車を降りて集まり、三番目までの電車の乗務要員はそれぞれ、もとの電車に戻つた。
午前一〇時二〇分すぎごろ、このようにしてそろつた当局側二五、六名の者は前記の本間課長の方針をうけて、二二二号車前面でスクラムを組んでいた市労連組合員の東側に至り、佐久間所長の合図のもとに吉田稔運転手が同車をにわかに四、五〇センチメートルほど後退させた際、それにあわせるようにして組合員らを東から西に押し、あるいは同車前面の外側でピケツトに加わつている者の脇の下をくすぐつたりり、その胴、手、肩などをつかんで引つ張り出すなどして排除につとめ、ピケツトを張つた者は押し出され、引きずり出されまいとして身体をつつぱり、あるいは近くの者の身体にしがみつき、電車前面近くにいた者は前回と同様に電車を支えとし、このため電車がややゆれ動いたようなこともあつたが、結局ピケツト全体としては、当局側が押したときは向うに傾くが、力をゆるめると手前へ戻るという波のような動きに約一〇分間終始した。その間、組合側の者が吉田稔、田島信行に対し、暴行を加えあるいは脅迫行為に出たことは全くなく、また、当局側と組合側は顔見知りの者が多く、互いに照れて笑い合い、時にはどちら側からともなく「お互いに疲れるから休みましようや。」などと話し合つた者もあつた有様であつて、組合側の者が当局側の者を突いたり殴つたりなどするような行為はみられなかつた。そして同一〇時二五分ごろ警察官が「違法なピケだから五分以内にピケを解くよう。」警告を発し、本間課長らによる引き抜き行為がなおも継続していた一〇時三二分ごろ指揮官の命令を受けた機動隊の警察官約六〇数名が二二二号車前面にピケツトを張る組合員の排除に入り、ピケツトを張つていた組合員らは、電車のバンバーにつかまつて排除されまいとした者も一、二名いたが、他の者は全く抵抗せず、すぐ同車の前面をはなれて退き、その結果午前一〇時三四分、吉田稔運転の二二二号電車を先頭とする一二台の電車は順次出庫して予定の営業路線に出て営業を始めた。なお、この間組合側の者が二二二号車の運転手吉田稔、車掌田島信行に対し、直接暴行を加えたり、脅迫行為に出たことは全くなかつた。
そこで、札幌市電は、札幌市内の全運送人口の三〇パーセントを輸送するものであるが、当六月一五日の運送予定人員は約三二八、〇〇〇人、営業計画台数は一、五八二台であつたので、これによつて一時間一車あたりの平均輸送人員を算出すると二〇七人となるから、一二台の電車が三〇分間運行できなかつたことによる輸送人員の減少は約一、二四二人であり、運送予定人員の約〇・三パーセントの減になる。また、当日の一車三〇分あたりの平均収入は約一、四四七円であつたから市側は一七、三五八円の得べかりし収入を失つたと一応算出される。
二 被告人山本の行動
被告人山本は六月一四日交通局で行われた団交を傍聴して同局で一夜を明かしたが、翌一五日交渉決裂後同局で、札幌市役所労働組合建設支部支部長久田信隆から清掃関係が業務拒否に入るので市内北一条東一四丁目の清掃部清掃中央センターヘ行つて伝達にあたつてほしいと言われ、鈴木義光、石塚庄一、大山秀男らと同センターヘ行つたが、そこで右組合の東幸次郎書記長からこちらはいいから交通局へ行つてくれと言われて同局へ戻つた。そして同所で市労連傘下組合の組合員の者から、中央車庫へ行つて出勤してくる乗務員に対し指令を伝達し、これに従わない者を説得するようにと言われて中央車庫へ前記の三名と共に赴き、門扉がとざされていたのでその東側にあるくぐり戸から中央車庫構内に入つた。その後くぐり戸わきの検車詰所付近をぶらぶら歩いたりしやがんだりしながら、出勤して来た乗務員一四、五名に対し指令を伝達し、また、後から来た久田支部長にそれまでの模様を報告した。午前九時三〇分ごろ門扉前に警告板を持つた者が来たので、被告人山本も他の組合員と共に門扉に沿つてその内側に一列に並んだ。そして間もなく前に認定したとおり、本間課長らが門扉をあけたのであるが、その直後二二二号電車が乗務員の制服制帽をつけた運転者によつて運転されて前進してくるのに気づき、急いで、その方へ行こうとしたとき、佐久間所長に腕を引つ張られて転倒したが、起き上るや同電車の前面中央部よりやや西よりのところへ行き、同被告人よりも先にそこへ行きついた三、四人の者や、さらにそのあとに来た者とともども同電車の吉田稔運転手に対し「君も組合員でないか、すぐ電車から降りて下さい。」と言つてさかんに説得しているうちに、前記のとおり本間課長らによる引抜きがはじまり、一時は或程度の体圧を感じて二二二号車の前部に手をかけて身体を支えたこともあつた。その後の小休止状態の時にはスクラムを組み、人が歌い出した労働歌に唱和し、二回目の排除行為の時も、同被告人は前同様二二二号車前に立ちつづけたが、引抜きの前後を通じ、同被告人が引抜きにあたつている者の身体に手をかけ、あるいはその者から手をかけられたことは全くなかつたが、以上のとおり二二二号車のピケツトには最初の段階から警察官が排除行為に出るに至つた最後の段階まで約三〇分間、継続して加わつていたものである(なお、(1) 検察官は、同被告人は二二二号車が前進してくるのをみて「とめろ。」と叫び、手を上げて合図をして他の者に集まるよう指揮をしながら同車前面に駆け寄つてきた旨主張し、証人吉田稔(第二一回および第二二回公判調書中証人吉田稔の供述部分)もこれに沿うかのような証言をしている。しかしながら同証人の証言によつても同被告人が電車前面に来たのは五番目から七番目であつたというのであり、しかも門扉のところにいた市労連組合員はほとんど同時に、二二二号車前面に駆けよつたものであることを考えあわせると、被告人山本が指揮者的立場で行動したものとは認めることができない。(2) また検察官は、吉田稔運転手が僅かに二二二号車を前進せしめた時に同被告人が「轢き殺して行くのか、絶対出させない。」と叫んだと主張し、証人吉田稔(前同公判調書中の同証人の供述部分)もこれに合致するかのような証言をしている。しかし、同証言によれば右の電車を前進させたというのは二回目の排除が始つた直後であるが、この時期には既に判示したように電車を後退させたことはあつても(後退の余裕があつたことは佐藤忠正撮影の現場写真第一、二、四、五葉によつて明らかである。)前進させたことがあつたかどうかはすこぶる疑わしく、しかも右の被告人山本の言動に関する同証言は裁判所の補充尋問に際しても単なる想像の域を出ないものに終始しているのであつて措信することはできない)。
三 被告人杉浦の行動
被告人杉浦は、六月一四日からの交通局における団交を傍聴し、翌一五日早朝藤田闘争委員長から指令、指示を聞かされ、その後日勤者は平常勤務であると告げられ、さらに札幌交通労働組合の渡辺茂書記長から執行委員は交通局内にある同組合の書記局へ集合するようにとの指示を受けて参集し、同書記長から闘争本部をおく場所をさがすように言われて札幌市内大通り西一五丁目所在の丸矢荘を確保した。その後同被告人は交通局庁舎内の団交あとを清掃した後、午前八時一五分ごろ、中央車庫内整備課に出勤し作業服に着かえて職場に入つた。午前八時四〇分ごろ前記の被告人難波が招集した報告集会に出席し、その後は前夜徹夜したためしばらく休憩し、午前九時三〇分ごろ木工職場で歯磨き、洗面をした。その間に木工場南側のよろい戸をあけて入つて来た本間課長が整備課員を集めて前記訓示をしていたのであるが、同被告人がその場所に行つたときには既に訓示が終つていたので付近にいた同僚にそのあらましを聞き、整備課員をピケツトの排除に使おうとしていることを知つた。その際、課長に従つて門扉の方へ向つた数名のうち、被告人杉浦の上司である大和田主任が一番最後にいたところから、同被告人は大和田に対し「大和田さん、あなたも組合員でしよう。組合員なら組合員らしい行動をしなさい。」と同人らの後を追いながら数回呼びかけたが、既に判示したとおりその効果はなかつた。そこで同被告人は、整備支部長である難波被告人を探したが見当らないので本部の指示を得ようと思い、小走りで行つて門扉わきのくぐり戸から道路に出て、向いにある交通局職員会館に入り、最初は前記の書記局に電話をかけたが話し中でかからず、次いで間をおいて四回前記丸矢荘の闘争本部にかけたがこれもかからず、数分後同会館を出て車庫に向つた。同被告人が構内に戻つてみると、二二二号車、および六一九号車の前に、さきに門扉のとこころにいた市労連組合員のほかに同僚の整備課員多数が電車の進路に立ち塞つているのをみて驚き、急いで六一九号車の前面に行き、乗務員の服装をした係員に対し、「組合の指令で乗務員は乗務拒否だからその指令に従つてくれ。」と呼びかけているうちに、渡辺良雄運輸係長に押しのけられてしまつた。その後しばらくして今度は二二二号車の方へ行き引抜きにかかつた係員の宮腰某や山口正人に右と同様のことを言つて説得をしたが、同被告人はこの段階では未だピケツトに加わつたことはなかつた。そのころたまたま出会つた被告人難波から前記の警察官が来た場合についての本部の指令を組合員に伝えてくれと頼まれれ、数名の者にそれを伝えているうちに引抜きをしていた者達が去つて前記の小休止の時期に入つた。小休止に入つてから、二二二号車前面にいた組合員が労働歌を歌つた際、被告人杉浦は同車前面から数メートル隔たり、組合員の集団とは離れた位置で歌に合わせて手をふり調子を合わせたが、被告人自身は労働歌にあまりなじみがないので唱和したことはなかつた。その他この小休止の間には六一九号車前面西角付近、二二二号車前面東角付近に立つていたこともあつたが、そこに集つている組合員のなかには加わらなかつた。午前一〇時二〇分ごろからはじまつた二回目の引抜きの際には、最初は六一九号車の前に行つていたが、午前一〇時二二分ごろ二二二号車の前面に来て引抜き行為をしている者に対し前同様呼びかけていたが、同二六分ごろ被告人杉浦自身も二二二号車前のピケツトの集団に入り込み、前面中央部よりやや東より集団の一番外側の列でまわりの組合員の身体に手をかけしがみつくようにし、もつて同三一分ごろ引抜き側の者によつて引き出されるまで約五分間ピケツトに加わつたが、その間、同被告人も引抜き側の者に対し、積極的に押し返えしたり、突く、殴るなどというような行為に出たことはなかつた。そしてその後は門扉西側にある守衛小屋付近で引抜き側の者による引抜きや警察官の行動を見守つていた。
(なお、検察官は、被告人杉浦が、(1) 「組合の指示に従え。」と述べたのは指令第三号に基づき、集合していた整備課員に対し門扉付近のピケツトに加わるべきことを呼びかけたのであり、(2) さらに検車詰所、門扉付近で「みんな来い。」と叫んで手を倒すなどしたため整備課員が二二二号車前面のピケに入つたと主張する。(1) については指令第三号の内容が検察官主張のようなものでないことは既に判示したとおりであり、また同被告人のした呼びかけも、さきに示したごとき事情から同被告人の上司である大和田に対してなされたものであることは明白である。(2) について検察官は証人中西正、同吉田稔の証言をその推論の根拠としているものであるが、まず、中西証言(第二三回および第二四回公判調書中の証人中西正の供述部分)によれば同被告人が(2) に掲げたような行動をしたというのは検車詰所と焼却炉との間であつたというのである。しかし、中西正は当時出庫順位二番の五八四号電車に乗つていたものであるところ、同人と、検車詰所と焼却炉を結ぶ通路との間には当時六一九号車、二二三号車、二〇一号車のほか三台、合計六台の電車が停車し、さらにその東側には大型スノーグレーダー一台、普通自動車二台が置かれていたものであつて、中西からその通路を見透すことはほとんど不可能な状態にあつたので、同証言をそのまま信用することは困難である。また吉田証言(第二一回および第二二回公判調書中の証人吉田稔の供述部分)もその尋問の経過からみてこの点に関する証言はにわかに措信できないものであつて、他に検察官の右主張を支持する証拠がない。)
四 被告人難波の行動
被告人難波は、被告人杉浦と同様に団交を傍聴し、藤田委員長から指令などを聞かされ、さらに札幌交通労働組合の渡辺茂書記長から乗務拒否をした乗務員の集会場所にあてる大きな旅館をさがしてきてくれと依頼され、午前六時三〇分ごろ整備課の同僚四家毅と共に円山に出かけた。円山方面で旅館の交渉をしていたところに同組合の坂本五月副委員長が来たので引継ぎをし、午前八時一五分ごろそこから中央車庫へ向つた。同車庫内整備課に出勤後、作業服に着かえ、同四〇分ころ整備支部長として組合員である整備課員に市労連の指示などを伝達するため木工場に集合してもらい、「今日は電車やバスがとまつているが乗務員だけが乗務拒否であつて、われわれ日勤者は平常勤務であるから勤務についてもらいたい。」という旨を述べて市労連の指示を伝えた。その後被告人難波も勤務についたが、午前九時ごろ門扉のところで説得している市労連組合員の中には前夜徹夜で団交を傍聴し朝食をとつていない者がいると考え、中央車庫内の食堂に行つて食事の手配をし、門扉のところの組合員にその旨を告げ、一旦職場に戻つた後、その後団交が再開されたかどうかを尋ねるために、中央車庫内の用品庫から丸矢荘の闘争本部に電話したが、交渉は開かれていない旨教えられて再び職場に戻つた。約一〇分後食堂の模様を見に行つたついでに、同被告人もかけそばを食べ、午前九時五〇分ごろ食堂南側の入口から出たところ、電気職場と脱衣場の間付近で本間課長が整備課員に訓示をし終わり、門扉の方に向かおうとしているのを目撃した。そこで、同被告人は、散会しつつあつた整備課員のところへ急いで行つたところ、「支部長、ピケを排除せいというんだがおまえどうするんだ。」と大声で言われて、事態を察し闘争本部の指令を仰ぐため連絡しようと思い、皆には「一寸待て。」と言いおいて再び用品庫に行き、丸矢荘の闘争本部に電話しようとしたが、かなりの間かからずやつと四回目ぐらいに本部が出た。そこで同被告人は右の状況を報告して指示を求めたところ、門扉のところにいる市労連組合員の人数を聞かれた後、「とにかく警官も来てるようだからそれには抵抗しないように。トラブルのないように言い伝えてくれ。あなた方は平常勤務なんだから課長の指示には従う必要はない。」といわれて、直ちにそこから門扉の方へまわつた。ところが既に二二二号車と六一九号車の前にかなりの人数の整備課員がいるのを見て驚いたが、すぐに執行委員の被告人杉浦を見つけ、同被告人に、闘争本部からの前記指示を伝えて他の組合員に口伝えを頼み、被告人難波自身も数名の者にこれを伝えた。同被告人はその後二二二号車に後続する三、四台の電車をまわり、その乗務員に対し、窓を軽く叩いて「あなた方も組合員だから、一応行動を共にしようじやないか。組合員の足を引つ張るようなことはやめろ。」と言つて歩いたが、同被告人が近づくといずれの電車の乗務員も扉のかぎをかける始末で、呼びかけに応じて降車する者はいなかつた。そこで再び二二二号車の前部西側のあたりに戻り、同車の運転手吉田稔に電車から降りるように声をかけ、また引抜きに当つていた西尾某などに対し「組合員の足をひくようなことはしない方がいい。」と言つて話しかけ、西尾の方も「僕らの立場も考えてくれ、やむを得ないんだ。」などといつて話をしたこともあつた。その後引抜き行為が中断したが、その小休止の間も同被告人は二二二号車、六一九号車の前面のいずれの集団にも加わつたり、また労働歌に唱和したこともなかつた。午前一〇時二〇分ごろから第二回目の引抜きが始つた際、同被告人ははじめのうちは二二二号車の前部西側のあたりにいてこれを見ていたが、同二四分ごろから、二、三回引き抜かれそうになつた組合員の背中を押したり、東側から押されてくるピケツトの組合員を外側から支えたりしてピケツトに協力した。そしてこの間、引抜き側の小山内義夫とどちらからともなく「お互いに疲れるから休みましようや。」などと言葉を交わしたこともあり、そのほかに、同被告人が引抜き側の者を積極的に直接押したり引つぱつたりするようなことは全くなく、その後警察官が入つてきた際にはピケツトから離れた場所でこれを見守つた。
以上の事実はいずれも証拠によつてこれを認めることができる。
第四被告人らの行為の構成要件該当性について
(一) 以上に判示した、被告人山本の約三〇分間にわたつて二二二号電車の前に立ち塞つた行為、被告人杉浦の約五分間にわたり同電車前に立ち塞がる組合員のピケツトに加わつた行為および被告人難波のこれに協力した行為は、いずれも他の約四〇名の市労連組合員と共謀し、威力を用いて札幌市の電車運行業務を妨害したものであつて刑法六〇条、二三四条の構成要件に該当する。
(二) ところで、被告人杉浦、同難波の労働関係については、同被告人らは札幌市が経営する軌道事業の職員であるので地方公営企業労働関係法(以下、地公労法または単に法と略称する。)が適用され、また被告人山本の労働関係についても、同被告人は、札幌市の雇員ではあるが、地方公務員法五七条にいわゆる単純な労務に雇用される者であるので右の地公労法が準用される(地公労法付則四項)ところ、同法はその一一条一項において職員およびその労働組合に対して争議行為を禁止している。そこで被告人らの右威力業務妨害行為が刑法上違法な行為であるかどうかを検討する。
第五憲法違反の主張に対する判断
一 弁護人らは、
(一) 地方公営企業の職員等に対し争議行為を全面的に禁止した地公労法一一条一項の規定は、
(1) 勤労者の争議権を無留保で保障した憲法二八条に違反し、
(2) 右規定の違反を理由に刑罰を科するものとすれば強制労働を禁止した憲法一八条に違反し、
(3) さらに同様に刑罰を科するものとすれば法定手続を保障した憲法三一条に違反し、無効であると主張するので、以下順次この点について検討する。
二(一) 地公労法一一条一項が憲法二八条に違反するとの主張について
憲法二八条は勤労者に団結権、団体交渉権、団体行動権とくに争議権を保障したものであり、ここにいう勤労者に公務員も含まれるものであることは今さらいうまでもないところである。そしてこれらの権利が公共の福祉により制限されることは場合によりやむを得ないところである。そこで、地方公営企業の職員等に関する争議権についていうならば、職員等に健康で文化的な生活を営むための生存権したがつてそれを獲得するための手段をいかに実質的に与えつつ、他方いかに公務員の争議行為によつて国民大衆に及ぼす困苦(これは決して単なる不便と解されてはならない。)を除き、あるいは最少限におさえるかという利益調整の問題に結局帰着すると考えられ、この意味においてはじめて公共の福祉による公務員の争議権の制限を考え得るといわなければならない。その場合において問題は、地方公務員たる地方公営企業の職員等の争議権の制限の態様すなわち全部的制限か、一部的制限か、その制限(禁止)の違背にどのような効果が結びつけられているか、その制限に十分見合う代償措置が講ぜられているかなどといつたことにかかつているといわなくてはならない。
ところで法一一条一項は「職員及び職員の労働組合は、同盟罷業、怠業その他の業務の正常な運営を阻害する一切の行為をすることができない。また、職員は、このような禁止された行為を共謀し、そそのかし、又はあおつてはならない。」と規定し、これによれば地方公営企業の職員等に対し同盟罷業等の争議行為は一応全面的に禁止されているものと認められる。そして法一二条は「地方公共団体は、前条の規定に違反する行為をした職員を解雇することができる(一項)。前条の規定に違反する行為をした職員は、この法律、労働組合法及び労働関係調整法に規定する手続に参与し、又は救済を受けることができない。(二項)。」と規定し、これによれば争議行為をした職員等は解雇されることがあり、その場合例えば解雇が不当労働行為にあたることを理由として救済を求めることができないものとされている。しかしながら法一一条一項に違反して為された争議行為に結びつけられた労働法上の効果は右の解雇に尽きるものであると解される。そして同条の違反行為には、地方公務員法六一条四号、国家公務員法一一〇条一項一七号が定めるような刑罰はこの場合明文上明らかに結びつけられていないものである。また、地方公営企業の職員等に対する右のような争議行為の全面禁止の代償として、法は、使用者団体の推せんに基づく使用者代表委員、労働組合の推せんに基づく労働者代表委員、右双方の委員の同意を得て任命される公益を代表する委員の各同数からなる、いわゆる三者構成をとつている地方労働委員会(以下、地労委と略称する。)を機関として設け(法一四条、一五条、労働組合法一九条一、二、七、二一項)、職員等は同委員会に対し、調停を申請し(法一四条一ないし三号)、あるいはさらに労使双方に対して拘束力をもつ仲裁を申請し(法一五条一、二号)、場合によつては労働委員会の方から職権で調停を行い(法一四条四号)、また二箇月以内に調停が成立しないときまたは調停を行つている労働争議について必要があれば仲裁を行う(法一五条三、四号)こともできるのであつて、代償措置としてはある程度実質的なものということができ、右代償措置が地方公営企業の職員の勤務条件の適正を図るうえに果している役割は決して小さいものとはいえないのである(現に、既に判示したように本件市労連の労働争議に際して地労委がした調停はそれなりの効果があつたというに十分である。)。したがつて地方公営企業の職員等がする争議行為によつて当該もしくは隣接の地方公共団体の住民が受けるであろう困苦と、一方、法はその禁止に反してなされた争議行為それ自体に対して未だ刑罰をもつて臨んでいないこと、ならびに右に説示した代償措置を定めて地方公営企業の職員等の勤務条件を適正なものにすることを図り、もつて職員等の生存権等の基本的人権を実質的に尊重していることを比較し総合勘案するときは、同法の規定が違憲であると断定を下すことは困難であると考える。
なお、右に説示したとおり法一一条一項の合憲性は、同条に刑事罰が直接結びつけられていないことを重要な要素としてはじめて肯定することができるのであるから、このことは同条を憲法に適合するように解釈運用するうえに十分考慮されなければならないことは勿論である。
また、弁護人は前記の代償措置に関し、地方公営企業法三八条の定めによれば、地方公営企業の職員の給与は他の大部分の市職員の給与と比較して決定しなければならないので、地労委において、他の職員の給与が定まらないのに独自に企業職員について仲裁などで決めることは意味がなく、また地労委の委員は公営企業の実状にあまり通じておらず、さらに地方公営企業の管理者は地位が低いため、管理者を相手としたのみでは地労委といえども適正な決定はなし難く、地労委は代償機関としてあまり効果がないと主張する。仮りに地労委が場合により代償機関として実効をあげていないことがあるとしても、地方公営企業法三八条二項は「企業職員の給与は、生計費並びに国及び地方公共団体の職員並びに民間事業の従事者の給与その他の事情を考慮して定めなければならない。」と規定しているのみで、必ずしも常に当該地方公共団体の職員と歩調を一にしなければならないとまで解することはできないし、また地労委の委員に対して公営企業の実体を説明し、よりよく理解させるのは、むしろ労働関係当事者の責務であつて、同委員が必ずしも十分に公営企業の実態に通暁していなくとも地労委が前記のように三者構成をとつていて公正なものである以上、代償機関としては制度上不十分なものとはいえない。さらに、地方公営企業の管理者の地位が当該地方公共団体の長よりも低いものであることは所論のとおりであるが、地方公営企業法における、管理者の地位及び権限(同法八条)、管理者の担任する事務(同法九条)、管理者と地方公共団体の長との関係(同法一六条)、予算(同法二四条)、財政計画に関する書類(同法二五条)などの諸規定からみれば、右管理者の地位、権限は弁護人が主張するほど低劣なものとは解せられないので、これをもつて前記の代償措置を無意味なものとまでいうことはできない。
(二) 弁護人の法一一条一項が憲法一八条ないしは同三一条に違反するとの主張の趣旨はさほど明確ではないが、もしその趣旨が労働争議行為はいかなる場合においても正当であり常に刑事罰から解放されるべきであるというのであるならば、これが失当であることは言をまたないところである。また、その趣旨が法一一条一項に違反した争議行為が、ただ単にそのことだけを理由に一切正当とはみなされず労働組合法一条二項を適用する余地がないとされるならば、同条は刑罰をもつて直接的に労働の放棄を禁止し、就労を強制することになるから憲法一八条に違反し、また、争議権が憲法上認められているにもかかわらず、これを制限し、しかもその制限に反してなされた争議行為に対して刑罰をもつて臨むこととなり、合理的実質的理由なしに刑罰を科することとなるので憲法三一条に違反するというのであれば、既に説示しまた後述するように法一一条一項に違反したからといつて、そのことのみを理由として刑罰を科せられることはないと解されるから、所論はその前提を欠き失当たるを免れないと考える。
第六争議行為の免責
一 最高裁判所第二小法廷は、昭和三八年三月一五日にした判決(刑集一七巻二号二三頁)において、公共企業体等の職員の争議行為に関し、「国家経済と国民の福祉に対する公共企業体等の企業の重要性にかんがみ、その職員が公共企業体等労働関係法一七条によつて争議行為を禁止されても、憲法二八条に違反しないとした最高裁判所昭和三〇年六月二二日の判決をひいて、公共企業体等の職員は争議行為を禁止され争議権自体を否定されている以上、その争議行為について正当性を論ずる余地はなく、したがつて労働組合法一条二項の適用はない。」という旨の判断を下している。
ところで公共企業体等労働関係法(以下公労法と略称する。)と地公労法とは、いずれも争議行為を禁止し、その禁止に違反した者は解雇されることがあると規定し、反面それ以上の例えばあおり行為を刑事上処罰するといつたような規定をおいていないという点で極めて類似している。しかしながら、公労法と地公労法とはその規制する対象を異にし、国家経済と国民の福祉に及ぼす影響の重大性についても著しい開きが存する。そして右の判決で問題となつている事案は、国鉄青函連絡船の運行阻害行為に関するものであつて、その争議行為が国民生活に及ぼす影響の程度は本件事案とは比較にならないくらい重大なものである。従つて、右の判決は本件で問題となつている地公労法一一条一項の解釈についての先例とはならないと解する。
二 さきに述べたように地公労法一一条一項による地方公営企業の職員に対する争議権の制約は、元来憲法の上で認められていた争議権に、既述のような意味での公共の福祉を理由として万やむを得ず加えた政策的な制限であり、しかもその制約たるや単なる部分的なものではなくして全面的禁止である以上、その違反に対し民事法上違反者を企業外に放逐する解雇をもつてするならともかく、右禁止規定がなければ、本来正当な争議行為として刑法上違法と目されない範囲の行為についてまで、直ちに刑罰をもつて臨みうると解することは不当といわなければならない。右違反行為の刑法上の違法性については、一般私企業労働者の争議行為の場合と同様の基準によつて判断すべきものであり、右の規定はこのように解してはじめて憲法に適合するものといわなければならないのである。そしてこのことは同法が、右の解雇以外にはその違反に対して刑事上の処罰規定はおろか懲戒等の民事上の処罰規定もおかず、かつ、同法四条が労働組合法八条の適用を除外しながら、明らかに労働組合法一条二項の適用を排除していないことからも十分にうかがえるのである。なお労働組合法一条二項の適用を排除しなかつたのは、同条が地方、公営企業の職員の団体交渉について適用があるためであるとの説があるが、同条がその中核としているのはむしろ争議行為に関する正当性であるといわなければならないから、同条項の適用を排除しなかつたのは、公営企業の職員の団体交渉等について同条項を適用させる必要があつたからであるとはいえない。また地方公務員法は、争議を禁止しているが、それに違反した者の処罰はその行為の遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおり又はこれらの行為を企てたという、違法性の極めて高い、したがつて実際にはそれだけに狭い、特定の場合に限られている。他方、地方公営企業の職員の争議行為の影響は運輸、電気、ガス、水道の供給事業などの公益事業の場合のそれと極めて近似するものである。したがつて、他の一般地方公務員よりも規制の必要の少い地方公営企業の職員に対し、争議に加わつたということだけで一律に刑罰をもつて臨むことは許されないものといわなければならない。
したがつて、地公労法一一条一項は地方公営企業の職員等に対し争議行為を禁止しており、それにもかかわらずなされた争議行為は同条項に違反する違法なものであるが、その違法は違反者を企業外へ放逐することができるなどという意味で民事法ないし労働法上違法であるにとどまり、これらの違法と刑法上の違法は同一のものではないから、この違反をもつて右の争議行為が刑法上違法を帯びているものということはできないのである。この違法概念の相対性は、スポーツにおいて、禁止された反則を犯した場合に、規則上の罰則が科せられるのみで、刑事上の処罰はまた別の観点から考えなければならないのとある程度似たような関係にあるということができるであろう。
第七被告人杉浦、同難波および同山本の加担した争議行為の違法性
一 争議行為において正当性が問題となるためには、その行為が争議行為とはいえないようなものであつてはならないことは当然である。本件において、被告人山本のピケツト行為は市と市労連との争議を前提とし、団交決裂後直接市労連の闘争指令に基づいてなされたものであつて、これが争議行為にあたることはまことに明らかである。また被告人杉浦、同難波の行為は、同被告人らに対して直接具体的な争議行為の指示がないとはいえ、既に詳細に判示したように市労連の指令に従わずその統制を乱して運転業務につこうとした組合員吉田稔に対し、市労連組合員がピケツトを張り呼びかけているのに対し、本間課長が、同じ市労連組合員である整備課員に腕力を用いてこれを排除せよとの命令をしたのみならず、一部の組合員を率いて腕力で引抜き行為をはじめたのを目撃し、組合員の意識にかられて被告人山本らのピケツトに合流したものであつて、これが争議行為に当ることも明らかである。
二 つぎに被告人らの本件争議行為の正当性の判断の前提としてつぎの事情を考慮しなくてはならない。すなあち
(一) 既に判示したように、本件当日である昭和三七年六月一五日、札幌市営バスならびに電車の運行はほとんど停止したが、かような全体としての争議行為そのものを被告人らが共謀したことは全くなく、したがつてそれ自体は本件において全く問題となつておらず、ここで問題となつているのは中央車庫における被告人らの二二二号電車等に対する約三〇分間にわたる部分的争議行為であり、かつそれについて門扉付近にいた市労連組合員間、後に参加した整備課員間、はたまたその両者間に事前の共謀が全く存しなかつたものであること。
(二) 本件門扉付近で出庫線が二手に分かれており、二二二号車等はその西側の出庫系統、六一九号車などの六台はその東側の出庫系統上の路線に停車していたものであることは既に示したとおりであるが、交通局側において六一九号車などの系統に停車していた電車は当日係員らによつて出庫させる予定は全くなかつたもので、したがつて六一九号車前のピケツト行為は本件では問題とならないこと。
三 そこで本件争議行為を検討すると、
(一) まずその目的は給与、手当の改善、有給休暇二〇日の復活などでいずれも純粋に札幌市職員の勤労条件の是正を図り、その経済的地位の向上を求めるものであり、しかもこの要求が市当局に無理難題を強いたものでないことは、本件闘争後いくばくもなく交渉が妥結し、多かれ少なかれ全てその実施をみたことに徴して明白であるといわなければならない。
(二) つぎに、本件争議行為は時あたかも札幌神社大礼祭のうちの一日に行われたものであるが、これは市労連が故意にこの日をねらつて争議行為に入つたものでないことは、既に判示したように、市が市労連のかねてからの要求に対し昭和三七年二月までに解決することを約しながら、同月に至り同年六月まで待つてほしいと申し出で、そのため同年五月二五日から団交が開かれ、六月一五日未明の助役との交渉段階ではかなりの歩み寄りがみられたが、最後の市長との交渉段階でその解答が問題を振り出しに戻すようなものであつたため、遂に団交が決裂したことに基づくこと、および当公判廷における証人富永厳の証言によつて認められる。六月一一日以来市労連は道内各市から札幌市に支援組合員の派遣を要請し、その派遣を受けていたのであるが一四日には同日中に団交がまとまると考えてそれらの支援組合員を帰えすとともに、翌一五日道内各地から来札する予定の支援組合員に対しその必要がない旨の電報を打つたことに照しても明らかである。
四 被告人らの争議行為は二二二号電車前でしたピケツテイングである。
ピケツテイングの正当性は、ピケツトの対象、態様などの諸般の事情から具体的に判断しなければならない(最高裁判所昭和三三年五月二八日〔刑集一二巻八号一六九四頁〕参照)。そこで以下この点について考察する。
(1) まず、本件ピケツトの対象は、組合の指令に反し当局側に従つて組合の統制をみだし、ピケツトを突破しようとした市労連組合員(札幌交通労働組合員)吉田稔に対するものである。
(2) また、右ピケツトの態様をみると、そのピケツトは吉田稔運転の二二二号車の前面で、同人に対し「電車から降りろ、降りて下さい。」などと組合の指示どおり降車するよう呼びかけながら立ち塞がり、判示のようにスクラムを組み、労働歌を歌つて気勢をあげたものであるが、吉田稔および田島信行の身体に対し直接手を下すなどの暴行に及んだり、脅迫的言辞や罵声を浴せかけたり、同人らを威圧するために車体を叩いたりしたことはなく、また同人の乗車していた二二二号車に乗り込もうとしたり、同車を押し戻し、故意にゆさぶろうとしたようなことも全く認められない。そして、引抜き行為が行われた際、当局側との間にもみ合いの状態を生じたが、それは、当局側が腕力で組合員を引抜こうとしたのに対し、組合員側が引抜かれまいとしてこれに抵抗したことによるものであつて、この行動は吉田稔に向けられたものではないから、この場合にも同人に対して示されている威力が引抜きのない小休止の状態の際に比較し、より高度の威力に転じたものと評価することは誤りである。
(3) さらに、右ピケツト行為は、突発的、非計画的なものであつて、整備課員は本間課長が同じ組合員に対し腕力を用いて排除することを命じたのみならず、一部の組合員を率いて実際に引抜きをはじめたのを目撃し、にわかに組合意識にかられて合流したものであること、また、右ピケツト中、組合員側の者は相手方に対し、殴る、突くなど積極的な反撃にでた者は全くなく、引き抜かれまいとして消極的な抵抗に終始したものであり、警察官が入るに及んでは、これに抵抗せず、自発的に電車の前面から退去した状況で、殺気立つた雰囲気は全くみられなかつたことが認められる。
(4) そして、右ピケツトにより約三〇分間、一二台の電車の出庫が阻止されたにとどまり、一般市民に与えた影響は判示のとおり、さほど大きいものではなかつたし、当局が蒙つた損失も同様軽微といわざるをえない。
以上のような諸般の事情を考慮すると、被告人らの行動は、正当な争議行為の限界を超えるものとはいい難く、刑法上違法な行為であるとはいえない。
第八結論
以上説示したとおり、被告人らの行為は罪とならないものであるから、刑事訴訟法三三六条前段によりいずれも無罪の言渡しをする。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判官 萩原寿雄 菊地信男 柏木邦良)